このブログは、管理人が、気の向くままに、酔っ払いのように好きな事を書くブログです。
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時間は、常に前に向かって進む。
過去のことを、思い出したり、
反省したり、見ないふりしたり、
まあ、いろいろ考えてしまうこともあるのだけど、
そこには、もう戻れない。
仮に、そこに戻ったとしても、
それは戻ったのではなく、新しい未来の一部なんだろう。
大人になった自分が、小中学校へ行くとしても、
それは、もう生徒としてではなく、保護者や先生として、
ということになるように。
今、31才という年齢で、この31才の6月という時間は
過ぎ去った後、もう帰ってくることはない。
だから、その一瞬一瞬を一生懸命に生きる、
という話になるわけなのだけど、
でも、精一杯のことをしてきたとしても、
やっぱり、ふと、とある感情が湧くことがある。
それは、何とも言えない「さみしさ」という感情。
何かが過ぎ去っていくことのさみしさ。
大切な何かが、もう戻ってこないことのさみしさ。
多少年をとると、景色の見え方が、
春色や夏色から、秋色になるらしい。
なんとなく物悲しい景色。
3年生の夏の大会が終わった高校の部活みたいな・・・。
でも、そのさみしさに負けて、
そこにずっとしがみつくわけにもいかない。
時間はずっとずっと前に進み続けていて、
先には、まだまだ、たくさんの未来が待ってるものだ。
多くの場合は、大人になると、その未来が
平凡で単調なものに見えてしまい、
未来への夢や希望は、子供に託されることになる。
しかし、平凡で単調な未来にしてしまっているのは、
他ならぬ自分自身なんだろう。
この世のすべては、自分の意識が作りだした幻であり、
自分の偏った見方が、苦しみを生む。
人は自分の見たいようにしかこの世界を見ないものだ。
まあ、唯識の世界やね。
悲しみやさみしさ、何かを失わないように必死で守ることもまた、
自分の心の不安によるものである。
不安は、衰えなどを感じ、未来を悲観することから始まるわけで、
悲観しようが、楽観しようが、現実にやってくる未来は、
自分の思い込みとは、関係がない。
やって来る未来は、たぶんもう決まっていて、
今悩んでることも、また、その計画上のことなんだろう。
そういう意味では、自分達は、無駄に悩み苦しんでいて、
不安という見えない化け物に追われ続けていることになる。
幽霊の正体みたり枯れ尾花、なんて言葉があるが、
不安を感じていても、実際は、過剰反応だったりするわけだ。
だから、不安を消そう!楽観的になろう!と言ったところで、
そうなれるわけでもなく、一時期は良くても、
またしばらくすると、不安に悩まされることになる。
不安や悲観というのは、厄介なものだ。
かく言う自分もまた、それに憑りつかれているのだから。
きっと、大事なことは、徹底して信じること。
仏法をもっと自分の心にすりこまないと。
一休禅師の言葉をもう一回思い出そう。
「大丈夫、心配するな。
なんとかなる。」
なんとかなる、そう、なんとかなるんだよ。
信じてないっしょ?どっかで疑ってる自分いるよね。
先人はそれぞれの言葉で、同じことを表現している。
無業禅師の
「莫妄想(妄想することなかれ)」も
沢庵さんの
「夢」も
みんな、この道を通って行ったという証拠なんだろう。
先輩達の後を追って、自分もこの道をいかなきゃ。
まだまだ先は長い。
過去のことを、思い出したり、
反省したり、見ないふりしたり、
まあ、いろいろ考えてしまうこともあるのだけど、
そこには、もう戻れない。
仮に、そこに戻ったとしても、
それは戻ったのではなく、新しい未来の一部なんだろう。
大人になった自分が、小中学校へ行くとしても、
それは、もう生徒としてではなく、保護者や先生として、
ということになるように。
今、31才という年齢で、この31才の6月という時間は
過ぎ去った後、もう帰ってくることはない。
だから、その一瞬一瞬を一生懸命に生きる、
という話になるわけなのだけど、
でも、精一杯のことをしてきたとしても、
やっぱり、ふと、とある感情が湧くことがある。
それは、何とも言えない「さみしさ」という感情。
何かが過ぎ去っていくことのさみしさ。
大切な何かが、もう戻ってこないことのさみしさ。
多少年をとると、景色の見え方が、
春色や夏色から、秋色になるらしい。
なんとなく物悲しい景色。
3年生の夏の大会が終わった高校の部活みたいな・・・。
でも、そのさみしさに負けて、
そこにずっとしがみつくわけにもいかない。
時間はずっとずっと前に進み続けていて、
先には、まだまだ、たくさんの未来が待ってるものだ。
多くの場合は、大人になると、その未来が
平凡で単調なものに見えてしまい、
未来への夢や希望は、子供に託されることになる。
しかし、平凡で単調な未来にしてしまっているのは、
他ならぬ自分自身なんだろう。
この世のすべては、自分の意識が作りだした幻であり、
自分の偏った見方が、苦しみを生む。
人は自分の見たいようにしかこの世界を見ないものだ。
まあ、唯識の世界やね。
悲しみやさみしさ、何かを失わないように必死で守ることもまた、
自分の心の不安によるものである。
不安は、衰えなどを感じ、未来を悲観することから始まるわけで、
悲観しようが、楽観しようが、現実にやってくる未来は、
自分の思い込みとは、関係がない。
やって来る未来は、たぶんもう決まっていて、
今悩んでることも、また、その計画上のことなんだろう。
そういう意味では、自分達は、無駄に悩み苦しんでいて、
不安という見えない化け物に追われ続けていることになる。
幽霊の正体みたり枯れ尾花、なんて言葉があるが、
不安を感じていても、実際は、過剰反応だったりするわけだ。
だから、不安を消そう!楽観的になろう!と言ったところで、
そうなれるわけでもなく、一時期は良くても、
またしばらくすると、不安に悩まされることになる。
不安や悲観というのは、厄介なものだ。
かく言う自分もまた、それに憑りつかれているのだから。
きっと、大事なことは、徹底して信じること。
仏法をもっと自分の心にすりこまないと。
一休禅師の言葉をもう一回思い出そう。
「大丈夫、心配するな。
なんとかなる。」
なんとかなる、そう、なんとかなるんだよ。
信じてないっしょ?どっかで疑ってる自分いるよね。
先人はそれぞれの言葉で、同じことを表現している。
無業禅師の
「莫妄想(妄想することなかれ)」も
沢庵さんの
「夢」も
みんな、この道を通って行ったという証拠なんだろう。
先輩達の後を追って、自分もこの道をいかなきゃ。
まだまだ先は長い。
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HN:
もぐら
性別:
男性
職業:
もぐら
趣味:
昼寝、たまに音楽
自己紹介:
管理人はもぐらです。
もぐらは動物と植物と環境の友情を考えています。
別に環境保護にも、動物愛護にも興味はありませんが、人間中心の発想にも興味はありません。
もぐらの一生は、自分の仕事をまっとうすること。
そして自分の心より宝物を発掘すること。
この世界は完璧でないがゆえに美しいのだ、
そう思って生きています。
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別に環境保護にも、動物愛護にも興味はありませんが、人間中心の発想にも興味はありません。
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そして自分の心より宝物を発掘すること。
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