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人が死んだら、物質的な肉体を失う。

しかし、魂は、肉体をはなれ、宙にうかぶ。

人は死んでも、肉体以外は消滅しない。

おそうしきの時も、そこにいる。

意識だけの存在になって。

周りのひとには、その人がそこにいることを伝えられない。

本当は何かを語っているのかもしれない。

でも、その声は届かない。

もう物質界において力を行使できる肉体が無いからだ。


死んでしばらくたつと、やがてお迎えが来る。

守護霊と呼ばれるもの、マスターと呼ばれるもの、精霊と呼ばれるもの。

そういう存在とともに、今回の学びの場において、

何を学んだか、見つめるようだ。

死ねば、宗教を離れ、肉体的な欲求を離れ、

ありとあらゆる束縛を離れ、光のような存在に戻る。

そして、いつしか、次の学びのステージへと旅立っていく。

次のステージも人間かもしれない。

違う存在かもしれない。

別の宇宙の生命かもしれない。

未来かもしれない、が、過去かもしれない。

魂の世界で、物質界の時間軸や、空間軸は、意味を成さない。

時間や空間の概念ですら、この物質界の道具であり、同時に

ただの思い込みに過ぎない。

物質界では肉体を持つがゆえに、多くの物質的な制限がある。

欲もある。痛みもある。

しかし、もし自分の本質が、肉体ではなく、

いや、この肉体など、ただの器に過ぎず、

本来精神的存在であるとするなら、

肉体を持つ、ということは、非常に大変なことなのだと思う。

肉体を持ち、この物質界のルールに束縛され、

その生まれた土地、民族、国、言語、文化、習慣、教育、宗教・・・

多くのものを身に着けていく。

同時に、そのものの見方に囚われていく。

他のものの見方ができなくなっていく。

しかし、もし仮に、この物質界で、肉体をもちつつも、

魂の存在であることを忘れず、

魂の成長と浄化に努めることができたら?

それこそが、人生という学びの場における

最大の学習目標なのだろう。

すべては方便であり、すべては夢幻のようなもの。

さとりは、何もはるか遠いところにあるわけではなく、

ましてや仏教の経典の中にあるわけでもない。

もっとも近い場所、つまり、自分の心の中にあるものである。

そういう密教的実感の中に生きた空海が

なんとも、うらやましくて仕方がない。

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そういえば今日
『ボクは坊さん。」四国八十八々所霊場五十七番札所栄福寺住職 白川密成さんの本を買いました。

追記:http://www.eifukuji.jp/
horohoro 2010/01/30(Sat)21:25:43 編集
無題
ああ、あのお寺ですか。
小さい山のきわのお寺ですね。
四国を思い出します。
管理もぐら 2010/01/30(Sat)23:59:32 編集
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別に環境保護にも、動物愛護にも興味はありませんが、人間中心の発想にも興味はありません。

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