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最近、「宇宙のデータベース」という言葉が好きで、よく考えている。
それは、こういう話である。
宇宙のデータベースというものがある。
いや、有るといっても、目に見えるものではない。
宇宙のデータベースには、この宇宙の全ての情報が入ってる。
人間が見つけたあらゆる「法則」、まだ人間の知らない「法則」
人間によって発明された「技術」、まだ発明されていない「技術」
自然界の決まり、人間のつくった不自然。
あらゆる分野の「発展の過程」と「あらゆる結果」
宇宙の「記憶」、「現在」そしてこれからの「未来」
どうだろう?イメージがわいてきただろうか?
先に言葉の説明だけしておくと、
「宇宙」というのは、地球の外の空間のことではない。
地球上を含めた全ての現象世界が「宇宙」だ。
そしてこの宇宙のデータベースは、時間に縛られない。
全ての情報、全ての法則、全ての始まり、全ての過程、全ての結果・・・
そう、全てが入っているのだ。
人間や、自然や、物質、というのは、この宇宙のデータベースから
時に応じていろんな物を引き出す。
例えば、現在、ギターという楽器がある。
このギターという楽器は、もとになるリュートという弦楽器がある。
その前にも弦楽器の起源になったものがある。
そして、その弦楽器を発明した人たちがいる。
音楽、古い弦楽器の祖先、発展過程の弦楽器、リュート、今のギター、
そして、まだこれから生まれるギターの後継楽器。
これら全てが、宇宙のデータベースの中にある。
つまり、宇宙のデータベースに無いものは、無い。
そしてこういう技術を生み出す「人間」すらも、宇宙のデータベースの産物なのだ。
例えば、今、多くの昔からの技術や文化が失われつつある。
しかし、それは実は、無くなるわけではないのだ。
宇宙のデータベースにある情報を「具体化」する、という作業が
発明や、発展や、変化、なのだが、「具体化」した以上、
その反作用が起こるのもまた必然なのだ。
つまり、「生まれる・生じる」ということは、宇宙のデータベースから引き出すことであり、
「カタチを失う・滅する」ということは、宇宙のデータベースに返納されるだけなのだ。
何十億年という時間の中では、また、だれかがそれを引き出してくる事もあり得るし、
誰も引き出さないかもしれない。
何にせよ、人間の歴史の上での全ての出来事や文化など、
宇宙のデータベースの0.0001パーセントくらいのものであろうと思う。
だから、きっと、時の流れにより失われていくこと、を悲観する必要はないのだ。
万物はある場所から生まれ出て、またその場所へ帰っていく。
その「場所」とは、時間も、空間も、存在も、超えた場所なのである。
そこを「宇宙のデータベース」と呼ぶ。
宇宙のデータベースより出てきたものは、
物質界の定めに縛られ、時とともに、その形を変えていく。
例えば地球の歴史もそうである。
微生物の時代、恐竜の時代、何度もやってきた氷河期、人間の時代、、、
いろんな時代を経て、最後はビッグバンとともにブラックホールへと飲み込まれえる。
気が遠くなるほど長い時間が過ぎれば、人間の時代も終わりを迎えるだろう。
惑星の衝突によるものかもしれない。
世界の最終核戦争かもしれない。
現状の人間にとって住みやすい自然環境が破壊されることによっての絶滅かもしれない。
いや、もっと簡単なことなのかもしれない。
まあ、いつかはわからないけど、全ての事にはいつかは終わりがくるものだ。
そしてそれは、全て宇宙のデータベースに書かれている。
始まりも、終わりも。
今、人は愚かである故に、環境を壊し、自分の首をしめてる。
でも、人間が愚かであることもまた、宇宙のデータベースの一部なのだ。
人が、その終わりを引き伸ばすだけの賢明さを持つことだってそう。
だから、景気が悪くて、とか、環境問題が、とか、食糧危機が、とか、
そういう問題に向き合う時代、というのも、またあるべき姿なのだ。
今、時代はまた少し変わろうとしている。
一番強い人間は、変わるべき時に、ちゃんと変われること。
永遠に同じ形を保つものなどないのだ。
しかし、人は、有るもの失う、ということを極度に恐れる。
物質的なものにしがみつく。
できるだけ、いい物は保存しておきたいと願う。
それ自体は悪い事ではない。
しかし、変わるべき時に、変われなかったものは、淘汰されていくだけだ。
そして淘汰される事もまた自然の摂理。
さて、この「宇宙のデータベース」を他の言葉で言いかえると、
大宇宙のDNA、自然のDNA、神そのもの、アラーの御手、真理の銀行、法身仏、集合的無意識
などと、いろいろな表現ができる。
微妙にニュアンスが違うこともあるが、まあ、好きな言葉を選んだらいいだろう。
で、ここからは、少し空海の話になる。
空海は万能の天才、1000年に一人の天才と呼ばれる坊さんだが、
空海の密教は、この大宇宙(宇宙のデータベース)との一体化、を目的とする。
そう、彼もまた、歴史上、宇宙のデータベースから、多くのモノを引き出した人なのだ。
彼にとっては、大宇宙は、そのふるさとであり、帰っていく場所でもあった。
空海は、誰よりも、宇宙(のデータベース)の中から出てきたことを自覚し、
肉体の消滅とともに、そこへ帰って行く事を想った人なのである。
彼の説いた「即身成仏(その身そのままで、仏になる)」というのは、
宇宙の法則の中に生き、死ねばそこへ帰るという循環の中に身を置く、ということを
骨の髄まで自覚する、ということなのである。
もろもろの現象は空であり、波立つ水面のようなものだ。
自然より出て、波の様にさざめき、そしてまた自然へ戻る。
全ては空であり、「全て」は「一つ」。
そして、(ここが重要なのだが、)
その「一つ」は「無限」なのである。
時間や空間を超え、ありとあらゆるものがそこにはある。
これを密教では、大日如来という名の法身仏としてあらわす。
そう、大日如来は、「宇宙のデータベース」のことなのだ。
仏という形で「擬人化」するから分かりづらいのだが、
大日如来は、宇宙の法則であり、真理であり、DNAであり、命であり、
すべてのものに内在するものを表す。
そして、密教が目指すのは、その大日如来(大宇宙)と自身の一体化なのだ。
さて、こうやって想っていると、変化は全然怖くない。
失う事も怖くない。
永遠に失われるものなど何もないのだから。
自分の持っている技術や知識を、誰にも伝えずに失うことも。
古き良き時代が姿を消すことも。
大事な物が全てなくなることも。
今の生活が変わることも。
いつかそれが必要とされる時代に、
また、新たな才能が、それをデータベースから引き出してくる。
「形を残す」ということに執着する必要はなにもなかったのだ。
人は、子をなしたり、創作をしたり、大きな仕事をしたり、名を残したり、
自分の「生きた痕跡を、後世に残したい」という無意識の欲求をかかえている。
しかし、空海の戯曲「三教指帰」にもあるように、
「時間には始めも終わりもなく、歴史的事実など虚仮であり、
すべては転変無常なる轟々と流れる輪廻のなかにある」
である以上、「残したい」という無意識の欲求ですら、
己の「不安」や「怖れ」の産物だと思えてくる。
怖がる事はない。
全てはデータベースの中に必ずある。
好きにアクセスして、今を生きる。
「残す」ことなど考える必要はなにもないのだ。。
残るべき物は必ず残っていき、消えるべき時に消える。
全ては「書かれている」のだから。
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管理人はもぐらです。
もぐらは動物と植物と環境の友情を考えています。
別に環境保護にも、動物愛護にも興味はありませんが、人間中心の発想にも興味はありません。
もぐらの一生は、自分の仕事をまっとうすること。
そして自分の心より宝物を発掘すること。
この世界は完璧でないがゆえに美しいのだ、
そう思って生きています。