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福井にいると近所に温泉いろいろあるので、週に1,2回は温泉。
で、今日の一湯。
佐野温泉。
ここには長く行ってなかった。
小学生以来かな、すごくなつかしかった。
とりあえず、半露天の砂利風呂で、砂利に埋もれて、
大浴場のアツい温泉につかってほっこり。
湯温は熱め。
飲用もできる。
カルシウムを多く含んでるのだとか。
今回は新館の風呂に入ったので、
また今度、旧館の別の風呂に入りたい。
今回は、インド洋やインドネシアのあたりで見えるのだとか。
ちなみに、今年の夏には、日本の奄美で皆既日食が見れるらしい。
まあ、それはまだ先の話。
で、この日食は水瓶座で起こる。
日食は新月のすごい版なので、あるいみ大きなスタートと読める。
何がスタートするか、と言えば、
ちょうど木星が水瓶座に年頭に入ったばかり。
間違いなく、年間テーマのスタートの空砲が鳴り響く感じだ。
いや、空砲の代わりに盛大な花火かもね(笑)。
で、同時に、水星逆行ももうそろそろ終わり。
25日の段階ではまだ残りかすを感じるけど、
もう2,3日で、すっきりするでしょう。
すでに20日の太陽水瓶座入りで、状況はかなり大きく動き出したけど、
水星が順行になれば、もっとスムーズに進む。
2月頭には火星も水瓶座にくる。
木星、太陽、火星のコンジャンクション。すごいね。
3・2・1・ロケット・ダイブ!って感じやね。
ははは。
太陽水瓶座、ASC水瓶座の皆様、「気合」と「根性」の準備をお願いします。
もぐらも太陽水瓶ですんでがんばります。
その他の星座の皆様にも一応お知らせしときます。
まあ、年間テーマの「キーワード」です
おひつじ座
「ネットワーク」、「未来」、「個人としての生き方」
おうし座
「社会的立場」、「集団、組織、グループ」、「天職」
ふたご座
「遠い所」、「専門」、「高等教育」、「親戚」
かに座
「限界」、「ヒミツ」、「無意識の欲望」
しし座
「その人」、「向き合う相手」、「パートナー」、「夫婦」
おとめ座
「仕事」、「健康」、「現実面の調整」、「義務・責任」
てんびん座
「恋愛」、「趣味」、「創作活動」、「子供」、「好きな事」、「楽しみ」
さそり座
「家族」、「居場所」、「付き合う人達」
いて座
「コミュニケーション」、「学習」、「移動」、「旅行」、「言葉」、「商売」
やぎ座
「収入」、「身につける実力」、「財産」、「技術」
みずがめ座
「スタート」、「種まき」、「自分」、「変化」
うお座
「過去」、「大掃除」、「整理」、「宗教」、「夢」
まあ、どんなテーマであろうと、人生では、
やって来るテーマと、しっかりと向かい合った人は、
かならず、「心の財産」を増やしています。
それは「心の平安」というものです。
たまーに、現実的なごほうびが届いたりすることもあります。
そして、テーマと向かいあわなかったり、逃げた人は、
大きな「心の負債」を抱えることになります。
心の負債は、無意識に、一生その人を苦しめるでしょう。
そして、本人は、己の心の負債に気づく事はないでしょう。
まあ、そういうものです。
せっかくなので、
このチャンスもしっかり活かせますように。
もぐらは、死ぬほどがんばります。
では。
「地」、「水」、「火」、「風」。
古代ギリシャ思想に端を発した4元素である。
西洋占星術でも、使われている区分法だ。
それぞれ
「感覚」、「直感」、「直観」、「思考」のイメージを司るが、
最近、よく考えていることは、
「地と風のタッグ」と、「火と水のタッグ」。
要するに、「論理の具現」と、「感情の安定」。
これからの個人的指針は「木のエネルギー」
サブタイトルは「~ねんりんのように~」だ。
「いのちの連鎖」と「大いなる循環」を解く鍵は、
「息の長さ」にあるかもしれない。
書道において、勢いがあるものと、ゆったりしたものがある。
個人的に勢いのあるものはわりと得意だが、
これからは、「ゆったり」としたものを身に付けたい。
ゆったりと流れるが、けっして流れがよどまないように。
毎週行ってた太極拳の講座も、今日でお休み。
中国で機会があれば、おばちゃん達にまぜてもらいたい。
ゆったりとした重心の移動。
一つ一つをかみしめるようにゆったり感じながら動く。
木の成長のように、やって行こう。
剛の風でなく、柔軟の風。
勢いの風でなく、そよ風。
ただし、けして切れない支え。
論理と感情のためには、
地と火を、しっかりと育てることだ。
だから、ゆっくり行こう。
ゆっくりとしっかりと根をはるのだ。
つよく太い根を。
最近、「宇宙のデータベース」という言葉が好きで、よく考えている。
それは、こういう話である。
宇宙のデータベースというものがある。
いや、有るといっても、目に見えるものではない。
宇宙のデータベースには、この宇宙の全ての情報が入ってる。
人間が見つけたあらゆる「法則」、まだ人間の知らない「法則」
人間によって発明された「技術」、まだ発明されていない「技術」
自然界の決まり、人間のつくった不自然。
あらゆる分野の「発展の過程」と「あらゆる結果」
宇宙の「記憶」、「現在」そしてこれからの「未来」
どうだろう?イメージがわいてきただろうか?
先に言葉の説明だけしておくと、
「宇宙」というのは、地球の外の空間のことではない。
地球上を含めた全ての現象世界が「宇宙」だ。
そしてこの宇宙のデータベースは、時間に縛られない。
全ての情報、全ての法則、全ての始まり、全ての過程、全ての結果・・・
そう、全てが入っているのだ。
人間や、自然や、物質、というのは、この宇宙のデータベースから
時に応じていろんな物を引き出す。
例えば、現在、ギターという楽器がある。
このギターという楽器は、もとになるリュートという弦楽器がある。
その前にも弦楽器の起源になったものがある。
そして、その弦楽器を発明した人たちがいる。
音楽、古い弦楽器の祖先、発展過程の弦楽器、リュート、今のギター、
そして、まだこれから生まれるギターの後継楽器。
これら全てが、宇宙のデータベースの中にある。
つまり、宇宙のデータベースに無いものは、無い。
そしてこういう技術を生み出す「人間」すらも、宇宙のデータベースの産物なのだ。
例えば、今、多くの昔からの技術や文化が失われつつある。
しかし、それは実は、無くなるわけではないのだ。
宇宙のデータベースにある情報を「具体化」する、という作業が
発明や、発展や、変化、なのだが、「具体化」した以上、
その反作用が起こるのもまた必然なのだ。
つまり、「生まれる・生じる」ということは、宇宙のデータベースから引き出すことであり、
「カタチを失う・滅する」ということは、宇宙のデータベースに返納されるだけなのだ。
何十億年という時間の中では、また、だれかがそれを引き出してくる事もあり得るし、
誰も引き出さないかもしれない。
何にせよ、人間の歴史の上での全ての出来事や文化など、
宇宙のデータベースの0.0001パーセントくらいのものであろうと思う。
だから、きっと、時の流れにより失われていくこと、を悲観する必要はないのだ。
万物はある場所から生まれ出て、またその場所へ帰っていく。
その「場所」とは、時間も、空間も、存在も、超えた場所なのである。
そこを「宇宙のデータベース」と呼ぶ。
宇宙のデータベースより出てきたものは、
物質界の定めに縛られ、時とともに、その形を変えていく。
例えば地球の歴史もそうである。
微生物の時代、恐竜の時代、何度もやってきた氷河期、人間の時代、、、
いろんな時代を経て、最後はビッグバンとともにブラックホールへと飲み込まれえる。
気が遠くなるほど長い時間が過ぎれば、人間の時代も終わりを迎えるだろう。
惑星の衝突によるものかもしれない。
世界の最終核戦争かもしれない。
現状の人間にとって住みやすい自然環境が破壊されることによっての絶滅かもしれない。
いや、もっと簡単なことなのかもしれない。
まあ、いつかはわからないけど、全ての事にはいつかは終わりがくるものだ。
そしてそれは、全て宇宙のデータベースに書かれている。
始まりも、終わりも。
今、人は愚かである故に、環境を壊し、自分の首をしめてる。
でも、人間が愚かであることもまた、宇宙のデータベースの一部なのだ。
人が、その終わりを引き伸ばすだけの賢明さを持つことだってそう。
だから、景気が悪くて、とか、環境問題が、とか、食糧危機が、とか、
そういう問題に向き合う時代、というのも、またあるべき姿なのだ。
今、時代はまた少し変わろうとしている。
一番強い人間は、変わるべき時に、ちゃんと変われること。
永遠に同じ形を保つものなどないのだ。
しかし、人は、有るもの失う、ということを極度に恐れる。
物質的なものにしがみつく。
できるだけ、いい物は保存しておきたいと願う。
それ自体は悪い事ではない。
しかし、変わるべき時に、変われなかったものは、淘汰されていくだけだ。
そして淘汰される事もまた自然の摂理。
さて、この「宇宙のデータベース」を他の言葉で言いかえると、
大宇宙のDNA、自然のDNA、神そのもの、アラーの御手、真理の銀行、法身仏、集合的無意識
などと、いろいろな表現ができる。
微妙にニュアンスが違うこともあるが、まあ、好きな言葉を選んだらいいだろう。
で、ここからは、少し空海の話になる。
空海は万能の天才、1000年に一人の天才と呼ばれる坊さんだが、
空海の密教は、この大宇宙(宇宙のデータベース)との一体化、を目的とする。
そう、彼もまた、歴史上、宇宙のデータベースから、多くのモノを引き出した人なのだ。
彼にとっては、大宇宙は、そのふるさとであり、帰っていく場所でもあった。
空海は、誰よりも、宇宙(のデータベース)の中から出てきたことを自覚し、
肉体の消滅とともに、そこへ帰って行く事を想った人なのである。
彼の説いた「即身成仏(その身そのままで、仏になる)」というのは、
宇宙の法則の中に生き、死ねばそこへ帰るという循環の中に身を置く、ということを
骨の髄まで自覚する、ということなのである。
もろもろの現象は空であり、波立つ水面のようなものだ。
自然より出て、波の様にさざめき、そしてまた自然へ戻る。
全ては空であり、「全て」は「一つ」。
そして、(ここが重要なのだが、)
その「一つ」は「無限」なのである。
時間や空間を超え、ありとあらゆるものがそこにはある。
これを密教では、大日如来という名の法身仏としてあらわす。
そう、大日如来は、「宇宙のデータベース」のことなのだ。
仏という形で「擬人化」するから分かりづらいのだが、
大日如来は、宇宙の法則であり、真理であり、DNAであり、命であり、
すべてのものに内在するものを表す。
そして、密教が目指すのは、その大日如来(大宇宙)と自身の一体化なのだ。
さて、こうやって想っていると、変化は全然怖くない。
失う事も怖くない。
永遠に失われるものなど何もないのだから。
自分の持っている技術や知識を、誰にも伝えずに失うことも。
古き良き時代が姿を消すことも。
大事な物が全てなくなることも。
今の生活が変わることも。
いつかそれが必要とされる時代に、
また、新たな才能が、それをデータベースから引き出してくる。
「形を残す」ということに執着する必要はなにもなかったのだ。
人は、子をなしたり、創作をしたり、大きな仕事をしたり、名を残したり、
自分の「生きた痕跡を、後世に残したい」という無意識の欲求をかかえている。
しかし、空海の戯曲「三教指帰」にもあるように、
「時間には始めも終わりもなく、歴史的事実など虚仮であり、
すべては転変無常なる轟々と流れる輪廻のなかにある」
である以上、「残したい」という無意識の欲求ですら、
己の「不安」や「怖れ」の産物だと思えてくる。
怖がる事はない。
全てはデータベースの中に必ずある。
好きにアクセスして、今を生きる。
「残す」ことなど考える必要はなにもないのだ。。
残るべき物は必ず残っていき、消えるべき時に消える。
全ては「書かれている」のだから。
フラメンコとは、スペイン南部アンダルシア地方の民謡である。
アンダルシアという土地は、ヨーロッパの西の果て、
そして、アフリカから最も近いヨーロッパ。
古くはフェニキアの植民地、ローマ帝国の属州として栄え、
ゲルマン民族の大移動の際も多くの民族がやってきた。
Andaluciaという地名は、
Vandalucia、つまり、ヴァンダル人の土地という意味から来ている。
スペインは、イスラム教徒に長い間支配された歴史をもち、
その際は、アンダルシアのコルドバやグラナダは、首都として栄えた。
レコンキスタ(国土回復運動)以降は、カトリック(キリスト教の一派)の国となった。
そして、レコンキスタの終結とともに、
新大陸到達、大航海時代を迎え、世界中でやんちゃにあばれまった。
アンダルシアはその際にも、港として、
新大陸貿易、新大陸経営の中心であった。
何が言いたいか、というと、この土地は、
多くの文化の交差点である、ということなのだ。
さて、話をフラメンコにもどす。
アンダルシアに、セビージャと、カディスという町があるが、
この二つが、フラメンコの発祥となる。
カディスは、ローマ時代の文献にも、でてきている。
ローマ貴族の間ではガデスの踊り子が大人気だったのだとか。
それだけ、大昔から舞踏や音楽性の高い土地柄だった。
そして、そこにやってきた多くの音楽。
ヨーロッパの古典音楽、スペインの古民謡、グレゴリオ聖歌、
そしてアラビア音楽、アフリカのパーカッション、ユダヤの哀歌
新しくは、ラテンアメリカからの音楽。
これらを土台にして、フラメンコは生まれた。
しかし、ここにまだ、大事な要素が一つ足りない。
それはジプシーである。
フラメンコは、これらのいろんな音楽によって育まれた
アンダルシアの音楽文化を土台にして、ジプシーが行った音楽なのである。
ジプシーとはいかなる人たちか?
学説によると、
ジプシーは、エジプシャンのなまりであり、
彼らが放浪してやってきた際に、各国を通行するのに、
「自分達はエジプトからの巡礼者である」と名乗っていたのが語源なのだとか。
しかし、実際には、彼らは北インドからやってきたようであり、
インド古典音楽に、フラメンコ独特のリズムとの関連があるらしい。
ふむ。なるほど。
ちなみに、インドから西にやってきたジプシーのスペイン到着は
レコンキスタ終結 及び コロンブスのアメリカ発見の1492年の前後であったという。
そしてそのころの日本は、というと足利の室町時代あたり。
つまり、「能」や「歌舞伎」の成立の時代である。
能の表現するものは、フラメンコの表現するものと非常に似通っている。
能ではそれは「幽玄」や「妙」と呼ばれている。
フランメンコでは「Duende」や「Aire」と言われるものである。
つまり、音楽や舞踏の表面的な部分ではなく、
その内に秘められた何か、をその音楽の本体、とする部分が、
能やフラメンコの面白さだと思う。
そして、それは密教とも、同じものと言える。
宇宙と自分との一体化。
インド哲学で言うと、
ブラフマン(梵)とブラフマン(我)。
梵我一如という。
ジプシーがもたらしたこの思想を強くもつ、と言う点で、
フラメンコはただのヨーロッパの西の端の音楽ではなく、
普遍性をもつ音楽ということになったのだ。
まあ、古い音楽の起源とは、もとを正せば宗教儀礼である。
つまり、神への賛歌。
フラメンコのカンテ(歌)には、いまだにそのシャーマニズム的な、
原始音楽のにおいが色濃く残っている。
つまり、カンテ(フラメンコの歌)は、全身全霊をかけて神にささげる
「いのり」であり、
その本質さえ持っていれば、世界中の他の音楽の演奏であっても
「とってもフラメンコ(的)だ」と高く評価されるのである。
つまり、伝統的な音楽としての「形式」が重要なのではなく、
その「幽玄」や「妙」が、フラメンコという音楽の本体なのである。
そして、こういう民族音楽としての「いのり」的性質であるにもかかわらず、
その表現として、非常に高度な音楽性を持っている、というのには、
スペインという、世界中の文化の交差点、という土地柄が関係している。
いろんな条件の重なり。
すごく面白い。
まあ、とりあえず、細かいことは、またの機会にしよう。
とにもかくにも、フラメンコというのは、こういう音楽なのである。
つまり、般若経というお経ののダイジェスト版。
般若経は、膨大な量の経典である。
般若心経はそのエッセンス。
さて、般若心経は、「空」を説くお経である。
それはつまり、般若経が「空」を説くお経だからである。
というわけで、今日は、般若心経の書き下し文。
仏の説きたまえる摩訶(まか)般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)心経
1、観自在菩薩、深い般若波羅蜜多を行じた時、五蘊(ごうん)は皆
空(くう)なり、と照見(しょうけん)して、一切の苦厄を度(ど)す。
2、①舎利子(しゃりし)よ、色(しき)は空に異ならず、空は色に異ならない。
色は即ち是れ空なり、空は即ち是れ色なり。
受、想、行、識とも亦復(またまた)是(かく)の如し。
②舎利子よ、是の諸法は、空を相とし、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増えず、減らない。
③是の故に、空の中には色も無く、 受・想・行・識も無く、
眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、 色・声・香・味・触・法も無く、
眼界も無く、 乃至(あるいは)意識界も無く、
④無明(むみょう)も無く、 亦(また)無明の尽きることも無く、
乃至(あるいは)老・死も無く、 亦(また)老・死の尽きることも無く、
⑤苦・集・滅・道も無く、智も無く、亦(また)得も無し、 所得無きをもっての故(ゆえ)なり。
3、菩提薩埵(ぼだいさった)は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けげ)無し。
罣礙(けげ)無きが故に、恐怖(くふ)有ること無く、
一切の顚倒(てんどう)夢想を遠離(おんり)して、涅槃(ねはん)を苦境す。
三世の諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、
阿耨多羅(あのくたら)三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)を得られた。
4、故に知る。般若波羅蜜多は是れ大神呪(だいしんしゅ)なり、
是れ大明(だいみょう)呪なり、是れ無上呪なり、 是れ無等等(むとうどう)呪なり。
能く一切の苦厄を除く。真実にして、虚しからざるが故なり。
5、般若波羅蜜多を説く呪あり。即ち呪を説いて曰く。
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提 薩婆訶
(ぎゃーてい、ぎゃーてい、はらそうぎゃてい、 ぼーじ、 そわか) <漢字の音読>
(ガテー、 ガテー、 パーラサムガテー、ボーディ、スワーハ-)<サンスクリット語>
般若心経
といった感じのお経。
細かい専門用語はとりあえず置いといて、
少し、おおまかな流れが見えてみたかもしれない。
般若波羅蜜多とは、仏の智慧を表し、
「大いなる仏の智慧のお経」が大般若経なのだ。
そしてその智慧で悟った事は、「空くう」。
「空」とは「実体が無い」ということを示す概念である。。
人間がたとえ100年生きようが、宇宙から見れば、はかない存在にすぎない。
全ての存在には実体が無く、 「実体が無い」のが、全ての存在の本質である。
という風に、観自在菩薩(観音さん)が、仏の智慧により、
「空」を悟った、というお話が、このお経のストーリー。
そして最後におまじないの言葉(呪)を説いている。
つまり、「南無阿弥陀仏」みたいな感じの真言(しんごん)だ。
これは呪(魔法の言葉)なので、内容はあまり重要ではない。
音が大事なのである。
これは、つまり、観自在菩薩が、「ガテーガテー・・・・」と
唱えつつヨガというか瞑想(修行)しているうちに、
あ、そうか、すべては「空」なんだ、と気づいたという話である。
いまの時代で言えば、
大哲学者が、悩み抜いた末、ぽーにょーぽーにょ、と口ずさんでいたら、
ひらめいた!的な話かもしれない。
まあ、実際はもっと深いレベルの話なんだけど・・・。
呪(真言)に関しては、空海の言葉を引用すると、
ものすごく深い話になるけど、それはまたの機会に。
まあ、魔法の言葉の言語学、みたいな。
般若心経ももっと細かく読み込んでいくと、結構面白いので、
また機会があれば書くつもり。
ってなわけで、このへんで。
琵琶湖の東の辺りを、車でう、ろうろしてた。
走行距離は、合計420キロくらい。
まあ、大した距離でもないけど、
帰りは、ちょっとつかれたかな。
特に山道を運転するのは結構つかれるかも。
急な山道で、50キロの場所で、80キロ以上でぶっ飛ばしていく
車ばっかり。。。高速ちゃうっちゅうねん。
というわけで、今日は、もう休みます。
ごきげんよう。
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管理人はもぐらです。
もぐらは動物と植物と環境の友情を考えています。
別に環境保護にも、動物愛護にも興味はありませんが、人間中心の発想にも興味はありません。
もぐらの一生は、自分の仕事をまっとうすること。
そして自分の心より宝物を発掘すること。
この世界は完璧でないがゆえに美しいのだ、
そう思って生きています。
