[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
観光がてら車で150キロくらい走りまわってみた。
で、今日は、図らずも温泉のはしごをすることに・・・
最初の一湯は、伊自良(いじら)温泉
山の中のちいさな里の小さな浴場といった感じ。
6時半に行ったら、夜は7時までとのこと。
料金は福井市の人は300円。
おお、安い。せっかくなので、入っとこう。
・・・ってか、福井市なんだ・・・ここ。
うーん、大野と池田の間くらいか、といった場所。
入ってみると、
泉質は悪くない。お肌がつるっとする。
でも、貴重品入れがなく、かごのみだったので、
貴重品は、車の中でもいれとかないといけないなあ・・・
で、もう一湯
冠温泉
ここは、もうおなじみの湯。
場所は伊自良温泉なみに辺鄙。
でも、福井近辺では、最もお気に入りのビッグ2の温泉の一つ。
理由は、泉質のよさ。
とろっとろの、ミネラルたっぷり炭酸泉。
おまけにこのまずい水を飲むと、
消化器系の調子が格段によくなります。
これほんと。家に帰るとすぐに腹が減ってきてしまって、こまるくらい。
ともかく、伊自良もしっかりと体が温まりましたが、
やっぱり、冠温泉は、段違い。
ちなみに料金は500円、夜9時まで。
おまけに、今日は露天風呂付きの方の浴場で、
小さな木の露天風呂にご満足。
ほこほこで家路に着きました。
エネルギーの量は、熱量(カロリー)であらわす。
万物は循環しているが、
それを動かしているのは、火の力だ。
例えば、水。
一見、柔軟な物体に見えるが、もし、熱がなかったら、
氷の塊になる。カチカチに固まって、永久凍土になる。
熱があることによって、液体にも気体にもなる。
例えば、土。
熱がめいいっぱいあれば、土ですらも溶けて溶岩になる。
どんなに固い金属だって、そう。
で、人間は、食べる事によって栄養とカロリーを摂取する。
ようするに燃料。
それによって、蒸気機関車みたいに、活動することができる。
これが「生きている」という現象。
ところが、現代人は、摂っているエネルギーと、使っているエネルギーの量が
あまりにもずれている。
摂っている量がはるかに多すぎるのだ。
これが、現代人の病気や体の不都合の原因。
燃料は、燃やされて使わなければ、
逆に体液の循環を鈍くする。
血や酸素が、十分に体をまわらなくなるのだ。
体を健康にするには、
体をしっかりと使ってあげるということが大切。
それは、自分の中にしっかりと火を燃やすことだ。
体は、動きたがっている。
現代人はエネルギーがありあまってる。
そして、時にそのエネルギーを、他人や自分にぶつけてしまう。
だから、スポーツをするとか、たくさん歩くとか、
エネルギーをちゃんと消費することで、健康で、悩みの少ない生活が送れる。
人間は、頭だけじゃなくて、もっと体をつかわなきゃいけないんだ。
「それでいいのだ」
「それでいいのだ」
・・・それに影響されて「それでいいのだ」と言ってみる。
オレは全てわかってる、みたいな顔で言うんだ。
で、実際に、全てわかってるような気になる。
・・・ちょっとまて。
ほんとにそれでいいのか?
簡単にそう言うけど、
「それでいいのだ」と言えるほど、やったのか?
中途半端なオレが、それを今言ってどうする?
「お前がそれをいうには、まだまだ早い。」
今は、ひたすら声を聞くこと。
自分の内なる声を。
心をとぎすまし、心の耳で聞く。
心の声を。
他人の目や、世間の評価なんぞ、くそくらえ。
したり顔でわかってるつもりな事ほど、自分に恥ずかしいことはない。
オレは何もわかっちゃいない。
それなのに、緊張感が全然足りない。
「今のままじゃあ、全然ダメだ。」
もっと自分を追い込め。
中途半端なごまかしにだまされるな。
心はたまに楽をしようとして、ウソをつくのだ。
ふと考える。
「日本人」って何だろう?
で、思った。
「日本人」というのは一種の”観念”だ。
そもそも、「国家」と「領土」と「国民」という発想のもとに、
「日本人」というものがいる。
ようするに、「日本人」=「日本国の国民」と言う意味だ。
こういう発想は19世紀のフランス革命と合衆国独立から
始まった。
とある本から引用しよう。
実は18世紀末まで、「国家」などという政治制度は
世界中のどこにも存在しなかった。
あったのは、「君主制」と「自治都市」だけだった。
その証拠に、世界のどこの国語にも、本来「国家」を意味する言葉は見つからない。
現代日本語の「国家」は、英語の「ステート」、フランス語の「エタ」の翻訳だが、
どちらももともとは、「位、身分、財産」という意味だ。
つまり、君主の「財産」が、「国家」の原型なのである。
その君主を廃し、その財産を市民が強奪して「国家」は始まったのだが、
今度は、国家の正統な所有権者がだれか?が問題になる。
国家の所有権は「国民」に帰属する、ということになると、
こんどは、その「国民」とはだれか?が問題になる。
そこで「国土」に住んでいる者が「国民」だ、ということになる。
そうすると、それまでなかった「国境線」を引いて、
その内側の住民を「国民」とすることとなる。
そして、「国民」には、同じ「国語」を話し、同じ「国史」を共有することを
強制するようになる。
こうして、革命が生み出した「国民国家(nation state)」は
瞬く間に世界地図のほとんど全面を、塗り替えてしまった。
この「国民国家化」が、いわゆる「近代化」の本質なのである。
そういうわけで、国民国家の時代に生まれ育ったわれわれには、
国家と言うものが無かった時代のことを正しく理解することがむずかしい。
つい18世紀以前の歴史にまで、「国民国家」の観念を投影してしまうのである。
「国家」という思想は、現代人の頭の中を強く支配している。
日本人、中国人、韓国人、アメリカ人、スペイン人、フランス人、ドイツ人、、。
「国家」とか「民族」とかそういうレッテルに無意識に振り回される。
例えこちらが意識しなくても、あちらはそう思いこんでる。
「日本人」?そんなもんは、どこにもいない。
「中国人」?そんなもんも、どこにもいない。
すべては、政治的な都合で決められて、思い込まされてるだけだ。
民族や国家の概念からはそろそろ抜け出さないと。
政治的に「日本」という国に登録されている事は、それでいい。
でも、観念にまでとらわれたままでは、何も解決しない。
近代化の呪縛はほんとにすさまじい。
最後に、これについて、また空海さん登場、ってことで、
司馬遼太郎の「空海の風景」から引用しとこう。
日が傾くと、弦歌嬌声が満ちた。
貴と無く、賤と無く。
この町をぞめき歩く中に、空海も、人のかかとを踏みつつ歩いたかと思われる。
ペルシャ生まれの少女が、露天で人を集め、舞踏して見せるのも、この町であった。
娘達は桃色に息づく体をケイシャで包み、つま先を立てて激しく舞う。
空海もおそらく群集に混じり、伸び上がって娘達の舞を見たであろう
空海は、この町を紅毛碧眼の西域人が皮のコートを着、
ひざを覆う長靴(ちょうか)をはいて悠然と歩いている光景に驚いたにちがいない。
空海の幸運は、生身でこの中に居た事であった。
彼が後に、その思想を打ち立てるにおいて、
「国家」や「民族」という、瑣瑣(ささ)たる特殊性から抜け出して、
人間を、人種で見ず、風俗で見ず、階級で見ず、
単に人間と言う普遍性としてのみとらえたのは
この長安で感じた実感と、無縁で無いに相違ない。
自分から進んで「環境」を変え
自分から進んで「困難」と向かいあう。
全ては自分のことであり、他人事ではない。
自分がやらなければ、誰もやってはくれない。
「やりたい事」だけが「人生の仕事」ではない。
天から与えられた「自分の仕事」。
望む事も、望まない事も。
時には逃げることも。
すべては、最後に±0になる。
でも、最後にツケをはらうぐらいなら、
先にやろう。
ある人が
「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」と言った。
困難は、その人を磨いてゆく。
背負った責任の分だけ、人はその魂の輝きを増すのだ。
言葉というものは、かなり不便だ。
通じてるようで通じてない。
本当は一言でつうじたらいいのだけど、
一言で通じることなんてほとんどない。
なぜなら、言葉のイメージの範囲が個々人で違うからだ。
例えば、「犬」といわれて、秋田犬を思い浮かべる人もいれば、
チワワを思い浮かべる人もいる。
昔飼ってたから、「なつかしい」と想う人もいるかもしれないし、
咬まれた経験があって、「怖い」とか「嫌い」とか想う人もいるだろう。
「かわいい」とか、「従順な」と想う人もいるだろうし、ホント人によっていろいろだ。
つまり、「犬」という言葉、から連想される「個人の経験」が
一人ひとりちがうのだから、「犬」に対するイメージも当然違う。
だから、犬好きの人が、犬嫌いの人に
「犬ってかわいいよね。」と言っても、
二人が想像している「犬」のイメージは根本的に違うし、
「かわいい」っていう言葉の裏にある、「おもいいれ」やその人の「記憶」や「イメージ」は
全然うまくつたわらない。
でも、二人とも、お互いに同じ意味で「犬」という言葉を使ってると思ってるし、
それで通じる、と思いこんでしまう。
でも、同じ「日本語」しゃべってるのに、言葉通じない事って結構あるんだよね。
コミュニケーションが上手な人は、その間を埋めるのが上手だ。
つまり、相手はどんな意味でその言葉を使っていて、
それによってどんな感情を抱いているのかを、推し量って話を聴くってワザをもってる。
コミュニケーションが下手な人は、言葉の不自由さを考えもしないし、
自分の言葉は通じてるかどうかなんて考えてない場合が多い。
相手の話も自分の物差し(主観)で聞くし、
そもそも周りの空気が読めないような感じかもしれない。
より正確に相手に分かって欲しいと思う人は、
がんばってたくさんの言葉を並べるかもしれない。
そうして、何度も何度も言葉を使っていくことにより、
言葉の限界を深く理解することになる。
そう、言葉は、不自由だ。
思ったほど万能なものじゃない。
でも、それをよく解る方が、言葉を放棄して、
ろくに言葉を使えないよりも、はるかにましだと思う。
伝えたいことを伝えるのってホントに大変だね。
でも・・・
それでいいのだと思ったりもする。
大変だからこそ、おもしろいのかもしれない。
顔の吹き出物とも関連して、、肝臓が関係していたようだ。
人間の「怒り」の感情は、肝臓と深くかかわっているのだとか。
肝臓は、脂の分解、アルコールの分解、疲労物質の分解、等など、
いろいろな体にとって毒になるものを分解する臓器だ。
それが、脂のとりすぎで、消化しきれないぶんが増えると、
毛穴をひらき、、毛穴にストックする。それが「にきび」や「吹き出物」なのだとか。
ふむ。
要するに、肝臓に負担をかけすぎてたわけだ。
こうなると、酒を飲んでも、アルコールを分解する余力がないため、
通常よりも早く赤くなったりすることにもなるらしい。
まずは食生活の改善をしなければ。
ということで、現在進行中。
肉は週に2,3回少量だけ。
揚げ物など油を使った食べ物は避ける。
脂肪を体に溜め込む原因となる、塩分を控える。
そのために、炭水化物(主食)をへらす。
ご飯をへらすと、濃い味付けのおかずは食べにくいからだ。
そして、代わりに、水分(お茶)をたっぷり飲む。
ある意味、お茶を酒代わりにして、ゆっくり晩酌してるような気分。
主食無し。お茶とおかずだけだが、結構たのしい。
また、糖分もへらす。
砂糖の入ってそうなものは、極力さけて、
果物や、自然な甘味のあるものをデザートに。
で、クエン酸などの、すっぱい系のものが、脂肪の分解を促進するらしいので、
酢の物や、そういうのんをしっかり食べる。
とまあ、結構、和食中心の食事になってるかも。
また、目の疲れも肝臓に影響するらしいので、
できるだけ目を使わないようにしたいが、これはなかなか難しい。
肝臓クリーンアップ作戦もまだ始まったばかりなんで、
まず手始めに、3ヶ月くらいを目標にがんばりたいね。
「夢」のメッセージは肝臓からのSOSだったのかもしれない。
| 05 | 2026/06 | 07 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 |
管理人はもぐらです。
もぐらは動物と植物と環境の友情を考えています。
別に環境保護にも、動物愛護にも興味はありませんが、人間中心の発想にも興味はありません。
もぐらの一生は、自分の仕事をまっとうすること。
そして自分の心より宝物を発掘すること。
この世界は完璧でないがゆえに美しいのだ、
そう思って生きています。
