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このブログの右下に、ネコの肉球が用意されている。
残念ながらもぐらの肉球ではない。
ではない、が、是非、この肉球と遊んでみよう。
ポインターをあててみたり、クリックしてくすぐってあげると、
楽しいかもしれない。
ひまつぶしに是非どうぞ。
最初の頃は、ドへたくそで、かなり音痴でした。
しかし、今はかなりましです。
もぐらは日々成長しようとたくらんでいます。
というわけで、もぐら式練習をお教えします。
ぜひおためしあれ。
いきなりですが、歌の奥義は「呼吸」です。
いきなり奥義かよ、オイオイ。
いやいや、基本であり奥義なのです。
呼吸をするときに使う部分はいろいろあります。
まず、胸呼吸、そして、はあはあ、ぜいぜいの時の肩呼吸。
そのほかに腹式呼吸があります。
歌でやりたいのはこの腹式です。
でも腹式って、どうやってすんのん?
いろいろ方法があります。
・・・が、先に理屈を説明します。
腹式呼吸は、横隔膜を下げるという呼吸です。
横隔膜を下げる事で、空間を広くして、
安定かつ、深い呼吸をするってワザです。
しかし問題は、横隔膜を下げたまま、耐えなければいけません。
もし仮に2時間歌うなら、2時間、横隔膜を下げ続ける筋力が要ります。
そう、うわさのインナーマッスルってやつです。
これを、声楽など、歌を専門にやっている人たちは「ささえ」といいます。
ボイストレーニングで一番大事なのは「ささえ」なんです。
違う言葉で言うと「丹田」といいます。
ようするに、人間の「重心」そのものです。
この「ささえ」は、音楽、舞踏、スポーツ、瞑想、その他もろもろ・・・
いろんな分野で、「奥義」とされています。
で、具体的なやり方いきます。
まず椅子に座ります。
で、両足をすこし浮かします。
で、鼻で息を吸ってください。
(*胸に息を入れないように)
その時お腹と一緒に、「横腹」が、ふくらみたがってませんか?
(イメージとしては、おなかの中の風船がふくらんだ感じです。)
この状態が、横隔膜が下がった状態(つまり、ささえが効いている状態)です。
この「膨らんだ状態」をキープしながら、歌うのです。
膨らんだ状態をキープしながら歌うとなると、
当然、歌ってるときに、お腹が戻らないようにするのですが、
イメージとしては、逆に「膨らませながら歌う」というイメージが近いかもしれません。
もちろん、適時、風船の空気も足してあげなきゃいけないのです。
で、ふと、「持っていた息」を吐いてしまい、お腹が戻っちゃった状態を
「ささえが切れた」状態といいます。
ささえを切らないのって、けっこう難しいんです。
長時間になるほど、集中力もいるし。
まあ、ささえがきいた状態で歌えるようになったら、
間違いなく、声は安定するはずです。
もぐらもまだまだ修行がたりませんが、
がんばります。
ポイントは「絶対に放さない」こと。
集中力もいるんですなあ。
いろいろお経や思想があるが、
奈良時代までの日本の仏教やお寺は、
あくまで思想や哲学の研究機関のようなもんだった。
「戒律」(お坊さんの決まり)だとか、
「空(くう)」の思想だとか、
「八識(はっしき)」(人間の深層心理を8つの段階に分けたもの)だとか、
「華厳(けごん)」だとか、、。
この中で、お坊さんは、いろんな所にいって、それぞれにいろいろ勉強していた。
つまり、宗派のちがいは、大学の専攻科目の違いみたいなもんだったわけだ。
それが、最澄と空海の登場により、大きく変わる事になる。
それが平安仏教。
さて、この平安仏教は、何か?というと、
奈良仏教は、ごく一部の人だけが学ぶ「学問」であったが、
そこに大乗仏教という仏教の新しい流れを取り入れた、ということなのだ。
それまでにも、お経や思想的には、大乗仏教は日本に伝えられてはいた。
でも、例えば「戒律(きまり)」は、小乗仏教のこまごまとしたものであったし、
いろいろと古い体質をひきずっていたのだ。
そこで、最澄というお坊さんは、天台宗という、中国に昔からある宗を
輸入しようとした。
そして、大乗仏教としてのお坊さんを育成する事を目指したわけだ。
それが、ちょうど平安京に遷都したころで、都が奈良から京都に移ったころだった。
都が移るということは、時代の変わり目であり、人々は、当然、新しいものを欲した。
そこに合致した最澄の志は、国や帝(桓武天皇)に支えられ、中国に留学することとなる。
そして、中国から、天台宗を学び持ってかえってきた、というわけだ。
ここらで少し天台宗の話をするが、最澄の天台宗は、
「法華経」を基盤にして、「禅」「戒律(大乗)」「念仏」「密教」の四宗兼学だった。
最澄が目指したのは、大乗仏教の総合大学のようなものであったようだ。
これを、一つ一つ鎌倉仏教に絡めて、みていくことにする、
まず「法華経」
法華経は、仏教の中の「一神教」的思想である。
彼らは、
お釈迦さんがその生涯の中で、多くの教えを説いたが、
「法華経」はその中でも、最後に説かれた、もっとも大切な教えである、
とする。
その他の教えは全て、「法華経」の教えを説くための方便であり、
「法華経」だけが、その仏の教えの中で、唯一絶対最高のものなのだ。
と考える。
ただし、きっちり述べておかねばならないことがある。
まず、多くのお経は「仏説(お釈迦さんが説いた)」とされるが、
ほとんどが、後世のインドのお坊さん達が考えたものである。
「法華経」も釈尊入滅後500年後の成立であり、
500年も立ってから、いや実は「法華経」が唯一絶対だ、
釈尊がそう言ったんだ、と言われても、
それはむちゃな話である。
また、この教えとその集団の危険性として、
一神教というのは、イスラム、キリスト、ユダヤを見てもわかるが、
自分のとこの教えが絶対で、他の教えはすべて邪教、となりやすくなる。
唯一絶対の神(教え)は一人(ひとつ)しか居ない、という理屈上、一神教の理屈では、
異教徒はすべて改宗をせまるべき対象になってしまうのである。
後に、鎌倉期に、日蓮上人が、天台宗から出て、法華経をさらに追求し、
日蓮宗を立てた時、彼は他の宗派を、激しく攻撃した。
あの教えは国を滅ぼす、とか、この教えは、悪魔の教えだ、とか・・・
こういう他者の完全否定は、法華経集団の発生以来の、好ましくない伝統である。
鎌倉期には、他の宗派も腐敗しており、
彼の批判も、確かに、仕方のない面もある。
(今の官僚や政治家みたいに。)
しかし、これは、他宗の腐敗した「人間」や「組織」を責めるべきであり、
その「教え」を邪教と責めるのは、お門違いである。
さて、こんな法華経系のグループ。こういう一神教系の教えはどこでもそうだが、
信者を爆発的に集める傾向がある。
なぜか?
分かりやすいからである。
「唯一絶対、最高最強!」
ね?わかりやすいでしょ?
とまあ、こんな感じの法華経系宗派。
「必ず救われます。とりあえず信じなさい」的な感じがぷんぷん。。
現代で一番有名なのは、日蓮宗と創価学会。
この二つはもともと同じ物。
創価学会は、「お金」でもめて、日蓮宗から出てきたグループ。
まあ、「人」と「カネ」があつまるところ、いろいろあります。
で、法華経集団の特徴をのべたが、
「法華経」のお経自体はどうなんだ?となると、
はい。法華経は、別に日蓮宗の専売特許ではなく、
奈良仏教や、平安仏教では、学ぶべき価値のあるお経の一つであり、
法華経の内容、実はすばらしい。
ある意味、天台宗は、法華経を大事にしつつ、他も学ぶと言う点で、
上手にバランスを取ってるなあ、と思うのだが、
そのせいで、後の純法華経系のグループには、嫌われただとか、、。
・・・で、次ぎは「禅」。
禅は、インドの言葉で、「ヨガ」であり、心と体をしっかりとコントロールし、
その可能性をひきだし、上手に使う、というものである。
その手法として、体操があったり、瞑想があったりする。
座禅というのも、つまり、「座るヨガ」ということである。
これはインドではごく当たり前の修行法であり、
別に禅宗さんの専売特許ではない。
どこの宗派でも、アタリマエにやっているものである。
これを鎌倉期に、天台宗から、栄西と道元というお坊さんがでて、
「禅」に注目し、「座禅」というメソッドで追求するという宗派を作った。
栄西禅師の臨済禅では、「公案」というような、ナゾナゾのようなものをやったりもするが。
道元禅師の曹洞禅では、「ひたすら座る」という方法を用いる。
日本文化においては、武士道や茶道の精神のもととなった。
いさぎよさ、強い精神力、道・・・
いろんな意味において、「禅」の境地は、日本の精神文化として影響を残していくこととなった。
・・・で、次ぎは、「戒律」
戒律は、お坊さんのルール。
ようするに、現代でいうと、「道徳や法律」の勉強みたいなもんかな。
生き物をむやみに殺してはいけない。
盗んではいけない。
ウソをついてはいけない。
・・・
ってな感じ。
小乗仏教の戒律は、かなりめんどくさくて、
ものすごい数の細かい戒律がある。
こまごまとした戒律をまもる事にやたら目くじらをたてた事を踏まえて、
大乗仏教の戒律は、ゆるいものになっている。
なぜなら、ルールというのは、
それを制定した時代には、必要であったとしても、
時代が変われば、必要なくなる、だけでなく、かえって害となることさえあるからである。
不殺生を守るために、食べ物は木の実だけ、
植物も、虫も踏んではいけない、とか・・・ちょっときびしすぎる。。。
・・・で、次ぎは「念仏」
あの南無阿弥陀仏!ナムナムってやつだ。
これは、仏さんに全てをお任せします!
という意味の、おいのりの言葉
これは後に、浄土宗、浄土真宗をひらいた法然上人、親鸞上人が、専門にした。
天台宗から独立し、念仏と「極楽浄土」の思想を深めていったのがこの宗派。
これも、民衆にわかりやすいように、非常に簡単に述べてある。
ただし、宗祖達の理論は、非常に深いものであるので、
本当は、見た目ほど簡単なものではない。
「極楽浄土はいずこにあるか?」
ー「あなたの心の内にある」
「念仏を唱えさえすれば、必ず極楽にいけるのか?」
ー「私は知らない。しかし、この念仏の教えを信じて、地獄に落ちても、私は後悔しない。」
・・・どうだろう?
本来、浄土系の教えに従うにも、強い精神力が必要なのだ。
・・・で、最後に「密教」
密教は、かなり趣が異なる。
また、空海抜きには語れない。
これはまた次回。ということで。
とりあえず、今日の結論は、
鎌倉仏教の祖師は、天台宗という「総合大学」から出てきて、
個々の手法を深めて、専門の「単科大学」を作ったというような感じ、で理解してみてはどうだろうか。
さて、前の続き的なお話。
仏教にはいろんな「宗派」があるけど、
そもそも宗派って何?って疑問を解明せねばなるまい。
宗派の違い。。。
同じ仏教なのに、ものすごーく違うのは何故っ?ってとこだけど、
宗派の一番の違いは、どのお経を重要視してるか?って点になる。
難しく言うと、根本経典とそこに説かれる思想や解釈の違い。
じゃあ、お経って、なんだ?
という話になると、話がちょっと長くなる。
ゴータマ・シッダールタ(お釈迦さん)という、あるインドの人が、仏教を
説いたことから、仏教の歴史は幕をあける。
一口に「仏教」っていうけど、実は仏教っていうのは、ほんとにいろんな要素を含んでる。
普通は「宗教だろ?」って思うだろうけど、
じゃあ、「宗教」って何だ?となると、答えられないんじゃないかな。
ということで、宗教の中身を説明すると、
思想、哲学、信仰、文化、儀式、先祖供養、、、、等など、から構成される。
まあ、普通の人は、「宗教」という言葉に「信仰」「先祖供養」のイメージが強いんじゃないかな。
でも、本来のお釈迦さんの説いた仏教というのは、「思想」や「生活の智慧」的なものだった。
「人が生きていく」って事を突き詰めて考えた「自然の法則」といえる。
で、彼はいろんな人にアドバイスして歩いたんだけど、
その入滅後、弟子達は、お釈迦さんの言葉を、残しておきたいと考えた。
これがいわゆる「仏典結集」ってやつで、
こうやって、「お経」が作られた。
多くは「仏説・・・(お釈迦さんがこう言った・・・)」で始まるのはこのためだ。
要するに初期のお経の内容というのは、私はお釈迦さんにこう言われました、という
釈尊名言集のようなものなのだ。
でも、集めてみるとその内容は矛盾だらけだった。
例えば、
体重100キロくらいある人は
「私は、釈尊から、あまり食べ過ぎないように、と聞きました」と言えば、
ガリガリのやせ細った人は、
「いや、釈尊は私に、もっと食べなさい、とおっしゃった」と言う。
コレがお経の中の、「如是我聞 (かくの如く、我は聞けり)」という文句の正体。
じゃあ、いったい、どっちが正しいんだ?と議論になる弟子達。。。
結論からいうと、お釈迦さんというのは相手を見てアドバイスしていたということだ。
それを対機説法という。
まあ、とりあえずは、
こんな感じで、お経づくりが進んでいった。
ところが、釈尊入滅後、数百年もたつと、教団はどこか腐敗してくる。
わけのわからん大昔の決まりや伝統がうっとおしくなってくる。
まあ、いつの時代も、長い時間が立てば、そうなっていくのは当然。
というわけで、それに対する反対勢力が生まれる。
そして、反対勢力は、原点回帰をめざして独立し、
自分達なりに、釈尊の教えを解釈しなおし、経典をつくる。
こうしてまた新しい「教え」と「経典」が生まれる。
彼らは古い勢力を小乗仏教と名づけ、
自分だけが悟りを開くこと、にこだわってしまった人達と批判する。
で、新しい動きを起こした人達は、自らを大乗仏教と名づけ、
みんなを救うことが、釈尊の意思だ!と、した。
ってな感じで、お釈迦さん入滅後、何百年も経つつうちに、
どんどんいろんな思想や哲学が生まれ、仏教を豊かにしていく。
建前上は、全てお釈迦さんが説いた、とされてね。
こんな風にして、いろんなお経が生まれていった。
多分、お経は、西暦1200年くらいにインドで仏教が滅ぶまで作られつづけたんじゃないかな。
いろいろあるお経、つまりいろんな思想や哲学。
その中で、ウチではこれが一番大事だ!(正しい!)とか主張してるのが、
「宗派の違い」なわけだ。
一応ざっくりまとめてみると、
1、奈良仏教(宗派というより、哲学的な学派)
法相宗:「唯識」・・インドで4世紀ごろ「唯識派」が現れる。(もとは空の思想から発展)
三論宗:『中論』・・・インドで「中観派」が考えた「般若経」の「空」の思想
華厳宗:「華厳経(3世紀頃成立)」
律宗・・・戒律
倶舎宗・・・小乗仏教系?
成実宗・・・?
2、平安仏教
天台宗:「法華経」を基盤とした「禅」「戒律」「念仏」「密教」の4宗兼学。
天台宗は、中国では、法相宗や華厳宗よりも古い宗派。
真言宗:「密教」
3、鎌倉仏教
浄土宗:「浄土経」「念仏」
浄土真宗:「浄土経」「念仏」
臨済宗:「禅」
曹洞宗:「禅」
日蓮宗:「法華経」・・・法華経の成立は、釈尊入滅後、約500年後のBC150~BC50年頃とされている。
というような感じである。
むずかしいのお。
長くなってきたので、それぞれの内容はまた今度書くことにする。
いわずとしれた弘法大師である。
江戸期までの日本人には、「聖徳太子」と「弘法さん」といえば、
北朝鮮での将軍様(金日成、金正日)くらいの国民的スターな存在だった。
明治以降、ヨーロッパ文化の流入により、日本人は、それまでの日本の古いものを、
ほとんどどっかにおいてきた。
というわけで、明治以降、日本人にとってメジャーな仏教と言えば、
1・浄土真宗などの浄土系・・・「極楽浄土」とか「南無阿弥陀仏」
2・禅宗・・・「座禅」や「瞑想」
3・日蓮宗とかの法華経系・・・「南無妙法蓮華経」のお題目
の鎌倉仏教、ということになっている。
それ以前の仏教は、現在の日本人には、
なじみがうすくなってしまっている感がある。
でも、それじゃあもったいない。
平安期の天台、真言、そしてそれ以前の南都六宗とよばれた奈良仏教。
どれも思想的に、文化的に、そして人間的に、かなりおもしろい。
鎌倉期の仏教は、たしかに現代人向きかもしれない。
それまでにあったものから、自分に合った一つを取り出して、深めたもの。
まさに分業制といえる。
でも、平安期の仏教は、もっと総合的なものだった。
それは東洋医学と西洋医学の差、とも似ている。
全体を見ようとする平安仏教の思想は、
個々の「深い専門性」(鎌倉仏教の各宗)をつなぐ、おもしろい糸であるように思う。
ってなわけで、いつ我が空海にたどりつくかわからないが
また、次回、このつづきを書く事にしよう。
とりあえず日刊をめざします。まあ、1年に300日くらい記事をかけたらOKということで。
今年もいい一年でありますように。
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| S | M | T | W | T | F | S |
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管理人はもぐらです。
もぐらは動物と植物と環境の友情を考えています。
別に環境保護にも、動物愛護にも興味はありませんが、人間中心の発想にも興味はありません。
もぐらの一生は、自分の仕事をまっとうすること。
そして自分の心より宝物を発掘すること。
この世界は完璧でないがゆえに美しいのだ、
そう思って生きています。
